画商の目

 日動画廊は創立83年目を迎えた。このように長く続けてこられたのも画家とともに歩んできたからであろうと思う。
 昭和3年に開業し、昭和6年に現在の銀座の地に移った。その頃から向井潤吉、牧野虎雄、青山熊治、朝井閑右衛門らと展覧会を開催している。
 中でも草創期に藤田嗣治の個展を開催したことは特筆すべきことだ。昭和8年日本に帰国した藤田が画廊に訪れた際、父長谷川仁は個展を願い出、この世界的な巨匠の個展の開催を実現した。このとき、フランスの画商のあり方を父は藤田に教わったのだ。ベルニサージュ(展覧会前日のパーティ)を夕方に行うのも藤田が日本に導入したものである。また藤田展を度々開催したことで、二科会の仲間や藤田の弟子たちも日動画廊で個展を開催するようになった。熊谷守一や海老原喜之助らである。またこの時期、松本竣介、前田寛治、萬鉄五郎といった次代に名を残す画家らの作品も扱っている。
 昭和14年には上海に画廊を開き、同行した画家たちの個展を開催したり、当地の重要人物の肖像画を描いてもらったりした。戦禍により昭和18年に閉店、上海画廊は4年間の短い開業であったが、父の大きな仕事のひとつであったと思う。
 大戦末期には、父も家族が疎開していた野尻湖に来たが、8月15日の終戦日の翌日には僕を連れて上京した。本郷の自宅は焼失していたが、幸いなことに画廊は無事で、父と僕は画廊に寝泊りした。戦後初めての展覧会は三岸節子の展覧会であったことを良く覚えている。
 僕が日動画廊に入ったのは昭和40年のことである。父とともに歩んだ画家たちは皆さん、老大家となり、僕の時代には付き合う画家はいなくなると感じたものだ。そこで若い画家の発掘をしなければと、公募展「昭和会」を創設することにした。選考委員は評論家の河北倫明、嘉門安雄、安井収蔵、小川正隆、画家では山口薫、林武の各氏にお願いした。
 選考の結果、第一回受賞者は奥谷博に決定した。現在、彼は文化功労者となり、その後の受賞者に日本藝術院会員となられた方も多い。また鴨居玲や浮田克躬のように物故となっても未だ人気が衰えず、日本洋画史に大きな足跡を残した画家もいる。このように活躍する受賞者の姿を見ると、「昭和会」の歩んできた道が間違っていなかったと自負するものだ。次回は第46回、半世紀に近い年月を経てきたことに感無量である。最近は女性受賞者や、20代の受賞者も増えてきた。彼らの成長もまた楽しみである。
 さて、名品も多く扱わせていただいた。ポーラ美術館やひろしま美術館に収めたこれらの名品が、現在、世界への文化発信を担っていることは画商冥利と言えよう。それはひとつには、日本の高度経済成長期、名品がマーケットに出ることの多かった時代に巡りあった私の幸運であると思う。
 最後に、父の郷里茨城県笠間市に開設した美術館について申し添えよう。父が地方文化の発展の一助となればと、この地に美術館を開館してまもなく40年になる。フランス印象派からエコール・ド・パリ、明治以降の近代・現代洋画を展示しているが、その中で350点に及ぶパレットが私の宝物である。すべて画家から寄贈されたもので、愛用のパレットに得意な主題を描いてくださっている。画家それぞれ、見事な個性があらわれているこれらのパレットを見るたび、日動画廊は画家とともに歩んできた画廊であり、今後も画家を大切にしていきたいと思っている。

日動画廊 長谷川 徳七