毎日メールでたくさんのご感想やご意見をお送りいただきましてありがとうございます。
ギャラリーガイドネットに掲載中の作家に対して寄せられた質問に
回答いただきましたのでご紹介いたします。
※作家名クリックで各作家ページを見ることができます。
初出品の際、賞をいただいたのが猫を題材にした作品でした。
当時の先生に「猫シリーズで出しなさい」と言っていただいたのがきっかけで大作の時は猫を題材にするようになりました。
猫の独特なしぐさや変幻自在で色々な表情を持っているユーモラスさを題材にしています。
私自身もやはりご質問者様の仰るような明るく清々しい絵画が好きですし、そういった作品を描かれる作家さんに憧れや尊敬の念を抱きます。
しかし月と太陽なら月の方に魅力を感じますし、太陽は昇る前や沈む瞬間の空が美しいと思いますし、昼と夜なら夜の方が好きです。
たぶん「光」を違う立ち位置から羨望の眼差しで見ていたいだけなのかも知れません。
憧れるということは、私はそうではない、描きたいけど描けない…とまではいきませんが、今はまだ心から明るく健康的な表現をするよりも、このわずかな光がもたらす色彩を描いていたいのだと気づきました。
ご質問ありがとうございます。わたしも表情を作る工程が一番難しいです。何回やりなおしても上手くいかない時は、作品に「かわいくなってね」と話しかけながら制作することもあります。表情は目玉の大きさでも変わるので調整をしたり、少し離れたところから見て確かめてみるという作業をします。もし機会があれば一日講習会や作品展においでください。
ご質問ありがとうございます。作品名の「Pluvia」はラテン語で「雨」という意味です。日本語や英語では説明っぽくなるので、敢えてわからない言語を選びました。副題も、作品のイメージなどをラテン語に置き換えている場合や、トリミングした位置を示す場合など幾つかパターンがございます。私自身決してラテン語は堪能ではないので、もしかしたらおかしな意味になっているかもしれません。
取材スケッチでイギリスに行きました。5月の半ばは春の終り頃で、また描く時間帯が夕方近かったので、緑が黄色味をおび輝いて見えたのを出来る限り混じりっ気の無い色で表現しました。私は余り太い筆を使わず水気を少なくして表現しています。一気に描き上げています。
ご質問ありがとうございます。
もともと、空やガラス瓶など具象ではあるけど抽象的な表現が必要なものを描くことに心魅かれていたのですが、「川の絵画大賞展」でテーマ「川」に取り組んだときに、「水面」というものに興味を持ちました。川の流れやその水の動きを観察するうちに、琳派の「流水紋」の線の動きが、流れではなくうねりであることに気づき、そのとき琳派の特徴の一つである金箔をイメージした作品を制作したことをきっかけとして、現在の作品に至っています。現在は川面ではなく、雨の落ちる水溜まりをモチーフにしています。
絵をみていただいて有り難うございます。私が茅葺き屋根の民家を描く場合ですが、特別にコツといったものはありません。 他の物と同様に自分流の描き方で自由に描いております。茅葺き屋根は、どっしりとしていて厚みがあるので自分なりにいろいろ 考えて工夫しておりますがその重みのある感じを表現するのはやはり難しいです。
僕は、幼少の頃から絵が好きで、やや抽象的な表現になりますが、(絵を描くことは)日常の生活の中において自然な振る舞い、例えば歯を磨くとか、入浴するといったことと似ているように感じています。それは生業ではありますし、当然のことながら、自分以外の人に対して批判する気持ちは毛頭ありませんが、絵を描くという行為そのものが、自分が生きているという証しを立てるものであると認識しています。更には、もしも、絵を描いていない人生を送っていたらと仮定したならば、その世界では、全ての友人も知人も、あるいは、ありとあらゆる思い出も消滅してしまい、「死」を意味するような混沌とした世界しか存在しないことになります。
それ故に、制作中に最も重要な要素が「心を込めて描く」こととなるわけです。例え、その作品の中にどのような情念が込められていようと、自分の心に正直であることは必要不可欠なことだと確信しています。
そしてもう一つ、長い人間の歴史の中で培われてきたものも大切にしています。歴史の中には、当然ながら、時代を越えて示される真理も存在しますし、先人の教え(作品)に学び触発されることは、一般的に重視される「個性」よりも、はるかに大切なことだと、常々考えつつ制作を進めています。
私の絵を気にとめていただいて有難うございます。私は茅葺き屋根の家がある田舎の風景が好きで描いております。最初は、もう20年位前になりますが夫の実家のある奥出雲地方の茅葺きの家を描いたのがきっかけです。生活感のある家を描きたいのですが、今では自然の風景の中にみつけるのはなかなかむつかしくやはり保存地区(美山・白川郷・五箇山等)に行くことになってしまいます。
人物のポーズについては、最初からイメージを持ってモデルさんにお願いすることもありますが、最初はモデルさんとの対話の中や、モデルさんにフリーにポーズをしていただくうちに構想が決まることが多いように思います。自分の頭で創るイメージよりモデルさんの動きの中に新鮮なものを感じます。私の場合、個々のポーズに意味を持たせるより四角いキャンバスの中にその人体の形をどのように配置すれば画面に動きや緊張感を出せるかを考えて制作しています。
作品の大きさ、ガラスの種類、図案の内容にもより時間はそれぞれです。
日常生活の中、食卓で使う食器類は2時間ぐらいで出来ます。
大きな色褪せガラスの花びんになると月2回の教室では半年ほどかかります。
私の作品を愛して下さりありがとうございます。
エッグアートを楽しんでおられる方はそんなには多くないと思います。
すべての作家が登録しているわけではありませんが日本エッグアート協会に
講師登録をしている作家を調べることができますので1度検索してください。
作品の汚れについてですがほこりなら小さい筆などで払ったあと中性洗剤をほんの少しいれ、
固く絞ったふきんで拭くと汚れは取れます。残念ながら洗うことはできません。
作品によって扱いは違いますが作家達も作品のリメイクをしたり金属の台を付け替えて
雰囲気の違う作品に作り直したりして楽しんでいます。
Spiral bouquetの強度ですが、やはりその作品はかなり扱いは慎重を要します。
カットをしていくに従ってどんどんこれは大変なことになると思い
ヒヤヒヤしながらカットをしていたのを覚えています。
幸運にも割れずに完成し見事な状態で私の元に舞い降りてくれました。
奇跡としかいいようがありません。今でも大切な作品の一つです。
描く場所は景色を眺めながら歩いていて、なんとなく直感で決めています。
それから場所を選んだ理由を自分なりに考えます。
例えば「上方から差し込む木漏れ日が清々しい」とか「暑い日差しの中清らかなせせらぎに癒された」などです。
描く場所はすぐに決まるのですが、なんとなく決めたものを絵に表現できませんので
「何がどうよかったか」は観察しながらゆっくり認識するようにしています。
卵ですが 作る作品の大きさやデザインによって使い分けをします。
ニワトリやウズラは食用として売れているものを買い求め自分で中身をとりのぞきます。
それ以外のグースやオーストリッチなどは既に中身が取り除かれたものを買うことになります。
最近では手芸材料が売られている大きな店舗で一般的に買うこともできます。
ほとんどが輸入品のため、なかには種類によっては入手困難なものもあります。
オーストリッチは今では日本の中にも養殖をしているところがありますので簡単に買うことができます。
今から31年前に主人の転勤でアメリカロサンゼルスに住んでいるときに
エッグアートに出会いました。
奇麗で素敵で愛らしい形をした作品に一目で心奪われたことを
30年経った今でもはっきりと覚えています。
主人と出会った時より衝撃的でした。(笑)それが私とエッグアートとの出会いです。
作品に使われている卵はすべて鳥たちが産んだ本物を使っています。
オーストリッチ レア エミュー グース チキンなどです。
制作日数はデザインの複雑さにもよりますが小さな簡単なものなら1日で完成することができます。
ホームページで見ていただいている作品達は複雑で大きな作品ですし
イメージに合う材料が全て揃うまでは完成させることができず
しばらくはそのままの時もありますがやはり1、2ヶ月というところでしょうか。